【2026年9月時点・訪問前に必ずご確認ください】上時国家は2023年8月31日をもって公開を終了して閉館し、その後2024年1月の能登半島地震で主屋が倒壊しました。現在は復旧に向けた工事・調査の段階で、見学はできません。下時国家についても、2026年9月時点で公開再開を確認できていません。本記事は時国家の歴史を伝える資料として公開しています。現地を訪れる予定がある場合は、輪島市や石川県の観光情報で最新の状況をご確認ください。
記事の要点
- 上時国家は見学できません。2023年8月31日に公開を終了して閉館し、2024年1月の能登半島地震で主屋が倒壊。現在は復旧工事・調査が進められています
- 下時国家も2026年9月時点で公開再開の情報は確認できていません。訪問を検討する場合は、事前に輪島市へお問い合わせください
- 両家とも国指定重要文化財(上時国家の庭園は国指定名勝)。当主は主屋の復旧費用を5億円規模と見積もり、文化庁の補助(国が最大85%)と県・市の負担で再建に向けて動いています
この記事は時国家の歴史と現在の状況を解説するもので、屋敷内の見学案内ではありません。奥能登は道路の復旧状況が変わるため、周辺を訪ねる際は最新の交通情報をご確認ください。
石川県輪島市にある時国家(ときくにけ)は、平安時代の武将・平時忠の子孫が能登で栄えた豪農の館です。「上時国家」と「下時国家」の2つの屋敷があり、いずれも国指定重要文化財です。平家の流れを汲む壮大な茅葺き屋根の建物は、能登の歴史と文化を今に伝える貴重な遺産でしたが、2024年の能登半島地震で上時国家の主屋は倒壊し、現在は再建に向けた歩みの途上にあります。
目次
時国家の歴史 — 平家の末裔が能登で築いた名家

時国家の祖は、平清盛の義弟にあたる平時忠(たいらのときただ)です。「平家にあらずんば人にあらず」の言葉で知られる時忠は、壇ノ浦の戦いの後、能登に配流されました。その子・時国がこの地に土着し、「時国」を名乗ったのが始まりとされています。
以後、時国家は能登の有力な豪農として800年以上にわたって栄え、江戸時代には大庄屋として広大な田畑を管理し、製塩業にも携わるなど、地域の経済・文化の中心的な存在でした。江戸時代中期に家は二つに分かれ、「上時国家」と「下時国家」として現在に至っています。
上時国家と下時国家 — 二つの豪農の館

上時国家は、江戸時代後期に名工「安介」が28年の歳月をかけて完成させた壮大な茅葺き屋根の主屋が特徴でした。入母屋造りの大屋根は高さ約18メートル、面積約189坪におよぶ近世木造民家として国内最大級で、豪農の権勢を物語っています。内部には大広間や仏間があり、見事な欄間彫刻や襖絵が往時の格式を伝えていました。庭園は国の名勝にも指定されており、「ぼたん園」としても知られています。ただし主屋は2024年1月の能登半島地震で倒壊しており、現在この姿を見ることはできません。
下時国家も国指定重要文化財の歴史的建造物です。主屋は江戸時代後期の建築で、上時国家とはまた異なる趣の茅葺き屋根と木造建築が見どころです。能登の厳しい自然環境に耐えてきた堅牢な構造と、豪農らしい格式ある造りが調和した名建築ですが、2026年9月時点で公開再開の情報は確認できていません。
時国家の見どころ — 平家の歴史と能登の暮らし
時国家の魅力は、単なる歴史的建造物にとどまりません。平家の栄枯盛衰から始まり、能登の地で800年以上にわたって家を守り続けてきた一族の歴史そのものがドラマチックです。
館内には平家ゆかりの古文書や調度品、能登の豪農の暮らしを伝える民具などが展示され、歴史ファンはもちろん、日本の伝統的な住文化に興味がある人にとっても見応えのある場所でした。巨大な茅葺き屋根の建物が能登の山里にたたずむ風景は、まさに日本の原風景そのものでした。
時国家の建築と800年の歴史
時国家の歴史は、平安時代末期に遡ります。壇ノ浦の戦いで敗れた平時忠が能登に配流され、その子孫が「時国」を名乗って代々この地に根を下ろしました。「平家にあらずんば人にあらず」と権勢を誇った平家の末裔が、能登の地で農業と海運で富を築き、現在まで800年以上にわたって家系を守り続けています。
上時国家の主屋は江戸時代後期の建築で、国の重要文化財に指定されています。茅葺き入母屋造りの豪壮な建物は間口約29m・高さ約18mにおよび、大庄屋としての格式と能登の豪農の暮らしぶりを伝えてきました。北前船の交易で栄えた奥能登の富をそのまま形にしたような建築です。
時国家の見どころと庭園
館内には平家ゆかりの家宝や古文書が展示され、源平合戦の歴史と能登での暮らしの変遷を学べる場でした。とりわけ豪壮な大納言の間と呼ばれる座敷は、天井の高い開放的な空間と精緻な欄間彫刻が見事で、上時国家を象徴する一室でした。
建物を取り囲む庭園は国の名勝に指定されており、能登の自然と調和した静かな空間が広がっていました。能登の辺地にこれほどの豪農の館が築かれ、800年にわたって守られてきたこと自体が、この地域の歴史の奥深さを物語っています。倒壊した主屋の再建は、奥能登の文化財復興を象徴する取り組みとして注目されています。
時国家は能登の歴史を知る上で欠かせない存在ですが、前述のとおり上時国家は倒壊、下時国家も公開再開が確認できておらず、現在は見学できる状態にありません。奥能登を旅する際は、公開が再開している施設を石川県や輪島市の観光情報で確認したうえで行程を組んでください。
時国家の子孫と現在の状況
時国家(ときくにけ)の子孫は現在も能登の地で平家から続く家系を守り続けています。上時国家の当主は第25代・時国健太郎さん。長らく子孫が実際に居住しながら生活空間の一部を公開するという全国でも珍しい形態をとってきましたが、来館者の減少と採算面の難しさから2023年8月末に閉館し、その約4か月後に能登半島地震で主屋が倒壊しました。江戸時代中期に本家から分かれた下時国家も国の重要文化財に指定されています。
800年以上にわたって同じ土地に根を張り、子孫が代々家を守ってきた事実は、日本でも類を見ない歴史の継続性を示しています。壇ノ浦で敗れた平家の末裔が、農業・製塩・海運で富を築き、能登の豪農として繁栄した歴史は、建物が失われた今も古文書や記録を通じて受け継がれています。
2024年能登半島地震による被害と再建への歩み
2024年1月1日に発生した能登半島地震(最大震度7)により、上時国家の主屋は倒壊しました。柱が折れて茅葺きの大屋根が地面まで落ち、玄関の唐破風を飾っていた瓦が一帯に散乱する状態になったと報じられています。屋内には8,500点におよぶ古文書が保管されており、その多くが倒壊した建物の下敷きになりました。これらの古文書は江戸時代以前の日本社会の理解を塗り替えたとされる貴重な史料群です。
復旧にあたっては、屋根から一つずつ部材を解体し、使える材を活かして建て直す方針が示されています。当主は主屋全体の復旧に5億円規模の費用がかかると見積もっており、文化庁の補助(国が最大85%)と県・市の負担で進められる見通しです。2025年5月には土砂の撤去が始まり、2025年度内の復旧計画策定を目指す段階に入りましたが、2026年9月時点で計画の公表は確認できていません。再建には長い年月がかかる見込みです。
時国家の所在地と現在の見学可否
| 所在地 | 石川県輪島市町野町 |
| 上時国家の見学 | できません。2023年8月31日に公開終了・閉館し、2024年1月の能登半島地震で主屋が倒壊。復旧工事・調査中 |
| 下時国家の見学 | 2026年9月時点で公開再開の情報を確認できていません。訪問前に輪島市へ要確認 |
| 文化財指定 | 上時国家・下時国家ともに国指定重要文化財(上時国家の庭園は国指定名勝) |
| アクセス(車) | のと里山海道 のと里山空港ICから約40分/輪島市街から約20分。ただし奥能登は道路の復旧状況が変わるため、最新の交通情報を確認してください |
時国家のよくある質問
時国家は今見学できますか?
時国家の子孫は現在どうしていますか?
時国家とはどんな家ですか?
上時国家と下時国家の違いは何ですか?
時国家は平家の落人ですか?
写真クレジット:
上時国家 — 運動会プロテインパワー(Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0)
下時国家 — 運動会プロテインパワー(Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0)


















