記事の要点

  • 2026年5月31日、羽咋市でトキが放鳥されました。本州では初めてのことです(余喜グラウンドゴルフ場/計18羽)
  • 羽咋市は本州最後のトキの生息地でした。眉丈山にすみ、最後の1羽は1971年に亡くなっています
  • その保護に生涯を捧げたのが羽咋市上中山町出身の村本義雄さん。資料は羽咋市歴史民俗資料館(入館無料)の2階で見られます

羽咋市とトキの関わりを、放鳥の現在・絶滅までの歴史・資料館の展示の3つから辿ります。写真は編集部が羽咋市と佐渡市で撮影したものです。放鳥事業の状況は2026年8月時点の情報です。

2026年5月31日、羽咋市で本州初のトキ放鳥

2026年5月31日、羽咋市の余喜(よき)グラウンドゴルフ場でトキの放鳥が行われました。本州では初めての放鳥です。石川県の発表によると放鳥されたのは計18羽で、内訳は放鳥式でその場から飛び立たせる「ハードリリース」が8羽、放鳥ケージで約2週間飼育してから放す「ソフトリリース」が10羽でした。

ここに至る経緯は数年前にさかのぼります。環境省が令和4年度に「トキと共生する里地づくり取組地域」を公募し、石川県と能登9市町(七尾市・輪島市・珠洲市・羽咋市・志賀町・宝達志水町・中能登町・穴水町・能登町)が、島根県出雲市とともに「トキの野生復帰を目指す里地」に選定されました。2025年2月14日に環境省が放鳥方針を発表し、令和8年度上半期を目処とされていたものが、この日に実現しています。

羽咋市の田園地帯を走ると、こんな看板に出会います。「羽咋市 トキ放鳥推進モデル地区」。トキが舞い、水田が広がる絵が手描きで描かれています。放鳥は式典で終わる事業ではなく、トキが餌をとれる田んぼをどう用意するかという、地域の農業そのものの話でもあります。

羽咋市の田んぼに立つ「トキ放鳥推進モデル地区」の看板
羽咋市の水田地帯に立つ「トキ放鳥推進モデル地区」の看板。手描きのトキが水田の上を舞う

放鳥後は石川県がモニタリングを続けており、「のとっきー通信〜トキの観察ノート〜」として月1回程度、生息分布や採食・休息の様子が公開されています(2026年8月12日にvol.2が発表)。県は目撃情報の投稿フォームも設けており、見かけた人が報告できる仕組みになっています。第2回の放鳥は中能登町春木地区周辺で実施することが決まっています(2026年4月27日に場所決定、8月6日に実施決定が発表)。具体的な日程は県の発表を確認してください。

なお、放鳥されたトキは野生の鳥です。見かけても近づかず、車を停める場所に注意し、農地に立ち入らないこと。観察のマナーは邑知潟のコハクチョウ観察と同じです。

羽咋は「本州最後のトキの生息地」だった

なぜ本州初の放鳥地が羽咋市だったのか。それは、ここが本州で最後までトキが生き残った土地だからです。

羽咋市歴史民俗資料館の展示解説によれば、トキ(朱鷺)は江戸時代の史料にもみられ、古くから日本・中国・朝鮮半島など東アジアに広く生息していました。昭和初期には羽咋の眉丈山(びじょうさん)にもトキが生息していることが知られていました。しかし戦時中、眉丈山の里山は燃料のための樹木伐採や開墾によって姿を変え、トキの生息地は失われていきます。

佐渡市のトキの森公園にも、能登のトキについての展示があります。そこには能登半島のトキの暮らしがこう説明されています。春から夏は眉丈山で生活し、秋の終わりになると奥能登の穴水の海岸あたりで冬を過ごしていた。餌が豊富な眉丈山から移動した理由は、ハンターが撃つ銃声を恐れていたためと考えられている——。佐渡と違い本州には狩猟鳥獣が多く、ハンターも多かったため、思うように保護活動が進まなかったとも書かれています。

佐渡トキの森公園の展示パネル「本州最後のトキ 能登」
佐渡市・トキの森公園の展示パネル「本州最後のトキ 能登」。能登のトキの移動経路や、羽咋市の村本義雄さんの活動が紹介されている

数はこう減っていきました。1959(昭和34)年に4羽、翌年3羽、1963(昭和38)年には2羽。しかもその年の2月、ねぐらにいた1羽がテンに襲われ、ついに1羽だけになります。残された1羽はカラスに襲われながらも懸命に生きていました。

最後の1羽の名前は「能里」

能登半島で最後の1羽となったトキには、「能里」(のり)という名前が付けられていました。羽咋市歴史民俗資料館の年表パネルには「能登半島で最後の一羽となった『能里』。昭和46年(1971)になくなる」と記されています(昭和40年〈1965〉8月の写真に付記)。

この1羽の行き先を決めたのも、羽咋の人でした。トキの保護活動を続けていた村本義雄さんは、1羽で生きるより仲間のいる佐渡へ送った方がよいのではないかと考え、文部省などに働きかけます。1967(昭和42)年9月、文部省は石川県教育委員会に、能登の1羽のトキを捕まえて佐渡へ移すことを決めました。そして1971(昭和46)年、この個体は亡くなります。

村本義雄さんの保護活動 — 羽咋市歴史民俗資料館の展示

羽咋市歴史民俗資料館の2階には、能登のトキと保護活動に関する展示コーナーがあります。中心にいるのが、羽咋市上中山町生まれの村本義雄さんです。

展示解説によると、村本さんは戦争から復員したとき、幼いころから慣れ親しんだトキが危機にあることを知り、保護活動を始めました。里山を歩いてトキの生態を調べ、関係者に働きかけ、次世代を担う子どもたちへの環境学習にも情熱を注いだ人です。

展示で目を引くのが、村本さんが残した写真と道具です。1956(昭和31)年8月16日、眉丈山の離山池の水辺で撮影された1枚は、初めて撮影に成功したトキの生態写真とされ、能登にトキが生存することを証明しました。解説には「ため池に首まで浸かりながら、しずかに近寄り、シャッターを押した」とあります。1959(昭和34)年には、羽ばたく瞬間を初めてとらえた写真も撮影しています。

ケースには、生態調査に最初に使ったカメラ(1953〈昭和28〉年購入)、双眼鏡、虫眼鏡が並びます。1969(昭和44)年には身を隠して撮影するための観察小屋も作りました。いずれも石川県立歴史博物館の所蔵品です。

圧巻なのが「トキは、何を食べているのか?」という展示です。村本さんはトキの糞を拾い集め、独自のザルを使って水で洗い流しながら溶かす調査を行いました。すると糞の中から、消化しきれなかった小動物の骨などが出てきます。アズマモグラの体毛、カエルの骨、アメリカザリガニの破片、マルタニシのふた、昆虫の破片、魚の骨とひれ——それらが標本として並んでいます(石川県立自然史資料館所蔵)。解説には、若鳥は消化する力がまだ弱いため骨などが糞に残るが、成鳥は消化する力が発達するため何も見つからなかった、とあります。

羽咋の人たちがトキのためにしたこと

資料館の年表パネルからは、村本さん個人ではなく地域ぐるみの活動だったことが読み取れます。

1957(昭和32)年上中山町の青年団13人で観察グループを結成。同年7月には「羽咋トキ保護会」が結成された
1959(昭和34)年10月石川県文化財保護委員会が保護ポスター「朱鷺を保護しましょう」を県内に配布。村本さんは県知事・副知事のもとへ3度にわたり製作を依頼した
1960(昭和35)年5月地元青年団が廃田15枚を借りてトキの餌場をつくり、タニシをまいた。餌のタニシは邑知潟と眉丈山で190kgを集めた
1961(昭和36)年7月上中山町の青年団と子どもたちで「上中山愛鳥クラブ」が結成され、保護活動が活発化。餌の飼育場づくりを行った
1963(昭和38)年8月上中山町で、子どもたちがトキ保護区の標柱を運んだ
1985(昭和60)年ごろ村本さんは能登からトキがいなくなっても愛鳥活動を続け、地元小学校(旧越路野小)に「野鳥病院」を置いて、愛鳥クラブの児童と邑知潟に飛来したコハクチョウなどの世話をした

廃田を借りてタニシをまく。子どもが標柱を運ぶ。トキがいなくなってからも愛鳥活動を続ける。60年前の羽咋ですでに、いまの放鳥事業とほとんど同じことが行われていたとも言えます。資料館の解説はこう結んでいます。「能登のトキを知ることは、未来のトキ保護を考えることにつながっています」。

佐渡で見るトキ — トキの森公園

能登のトキが最後に送られた先が、新潟県佐渡市です。佐渡のトキの森公園には観察施設があり、飼育されているトキを間近で見ることができます。

実物を見ると、想像より大きな鳥だと分かります。羽咋市歴史民俗資料館の解説によれば、翼を広げると約140cm、体の長さ約75cm、体重約1.5kg。学名は「ニッポニア・ニッポン」です。全身は白く見えますが、翼の内側には朱鷺色(ときいろ)と呼ばれる淡い朱色があり、飛ぶときにそれが見えます。羽咋の看板に描かれたトキも、この朱色で塗られていました。

羽咋市歴史民俗資料館の利用案内

開館時間9:30〜17:00(入館は16:30まで)
休館日毎週月曜日(祝日を除く)、祝日の翌日(土・日を除く)、12月28日〜1月4日
入館料無料
トキの展示2階の展示コーナー。撮影可(フラッシュ・ストロボは不可)

展示室には「撮影OK!!」の掲示があり、フラッシュ・ストロボを使わないこと、他の見学者の迷惑にならないようマナーを守ることが条件として示されています。この記事の資料館の写真も、その条件に従って撮影したものです。開館時間・休館日は変更されることがあるため、訪問前に羽咋市の公式サイトで確認してください。

資料館は羽咋市の中心部にあり、気多大社千里浜なぎさドライブウェイと組み合わせて回れます。トキの視点で羽咋を歩くなら、邑知潟(餌場となったタニシを集めた場所であり、いまはコハクチョウの越冬地)や、水田地帯を通る道もあわせて訪ねてみてください。

羽咋市で野生のトキを見ることはできますか?
2026年5月31日に18羽が放鳥されており、市内やその周辺で目撃される可能性はあります。ただし決まった観察場所があるわけではなく、確実に見られる保証はありません。石川県が「のとっきー通信〜トキの観察ノート〜」として月1回程度モニタリング結果を公開しているほか、目撃情報の投稿フォームも設けています。見かけた場合は近づかず、農地に立ち入らず、路上駐車をしないでください。
確実にトキを見たい場合はどこへ行けばよいですか?
飼育されているトキを見るなら、新潟県佐渡市のトキの森公園に観察施設があります。石川県内では、いしかわ動物園がトキの分散飼育を行っています。分散飼育は鳥インフルエンザなどの感染症による絶滅を防ぐための取り組みで、いしかわ動物園のほか多摩動物公園、出雲市トキ分散飼育センター、長岡市トキ分散飼育センターで飼育・繁殖が行われています。
なぜ本州で最初の放鳥地が羽咋市だったのですか?
羽咋市を含む能登が、本州で最後までトキが生き残った土地だからです。昭和初期には羽咋の眉丈山にトキが生息しており、地元では1957(昭和32)年に「羽咋トキ保護会」が結成されるなど保護活動が続けられていました。環境省は令和4年度の公募を経て、石川県と能登9市町を島根県出雲市とともに「トキの野生復帰を目指す里地」に選定し、2025年2月に放鳥方針を発表。2026年5月31日に羽咋市で本州初の放鳥が実現しました。
能登半島で最後になったトキの名前は何ですか?
「能里」です。羽咋市歴史民俗資料館の年表パネルに「能登半島で最後の一羽となった『能里』。昭和46年(1971)になくなる」と記載されています。佐渡市トキの森公園の展示パネルにある「本州最後のトキ 能登(のと)」の「能登」は能登地方という地名を指すもので、トキの名前ではありません。
羽咋市歴史民俗資料館のトキ展示は写真撮影できますか?
できます。展示室には「撮影OK!!」の掲示があり、フラッシュ・ストロボを使わないこと、他の見学者の迷惑にならないようマナーを守ることが条件として示されています。入館料は無料、開館は9:30〜17:00(入館は16:30まで)、休館日は毎週月曜日(祝日を除く)などです。
次の放鳥はいつ、どこで行われますか?
第2回の放鳥は中能登町春木地区周辺で実施することが決まっています(2026年4月27日に場所が決定、8月6日に実施決定が発表されました)。具体的な日程は本記事作成時点(2026年8月)では公表されていないため、石川県および能登地域トキ放鳥受入推進協議会の発表を確認してください。
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わっか北陸編集部
HOKURIKU TRAVEL GUIDE
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