末森城跡 — 前田利家の運命を決めた能登の山城

石川県羽咋郡宝達志水町の山中にひっそりと佇む末森城跡。戦国時代、能登と加賀の国境に築かれたこの山城は、天正12年(1584年)の「末森城の戦い」で前田利家が佐々成政の大軍を撃退した激戦の地として知られています。石川県指定史跡であるこの城跡は、戦国の息吹を今に伝える貴重な歴史遺産です。

末森城の歴史

末森城跡の石碑と案内板
末森城跡(Photo: Akimoto / CC BY-SA 3.0)

末森城は、室町時代に能登畠山氏の家臣によって築かれた山城です。標高約138メートルの山頂に本丸を置き、二の丸、三の丸を配した典型的な中世山城の構造を持っています。能登と加賀の国境に位置するこの城は、両国の勢力が交錯する軍事上の要衝でした。

築城時期は正確には不明ですが、15世紀中頃には能登畠山氏の支配下にあったとされています。その後、織田信長の能登侵攻を経て、前田利家の支配下に入りました。

末森城の戦い — 前田利家の運命を決めた一戦

末森城の名を歴史に刻んだのが、天正12年(1584年)9月の「末森城の戦い」です。この合戦は、前田利家の運命のみならず、加賀・能登の歴史を大きく左右する重要な戦いでした。

合戦の背景

本能寺の変(1582年)後、豊臣秀吉と織田信雄・徳川家康の対立が深まる中、越中(現在の富山県)を治める佐々成政は家康側に付き、秀吉方の前田利家と対立しました。成政は約1万5千の軍勢を率いて能登へ侵攻し、能登と加賀を結ぶ要衝・末森城を攻撃しました。

激戦と利家の救援

末森城を守る城主奥村永福(おくむら ながとみ)は、わずか数百の兵で佐々軍の猛攻を受けます。二の丸、三の丸が次々と落とされ、本丸のみで籠城する絶体絶命の状況に追い込まれました。

この窮地を知った前田利家は、金沢城から約2,500の兵を率いて急行。夜陰に紛れて佐々軍の背後を突く奇襲攻撃を敢行しました。挟撃を受けた佐々軍は混乱に陥り、成政は撤退を余儀なくされます。

この勝利により、前田利家は能登・加賀の支配を確固たるものとし、後の加賀百万石の礎を築きました。もし末森城が陥落していれば、前田家の命運は大きく変わっていたかもしれません。

城跡の見どころ

宝達山と能登の田園風景
末森城跡がある宝達志水町と宝達山の風景(Photo: Saigawasakurabashi / CC BY-SA 3.0)

現在の末森城跡は、山城としての遺構がよく残された貴重な史跡です。約30分ほどの登山道を登ると、以下のような遺構を見ることができます。

  • 本丸跡 — 山頂に位置する城の中心部。石碑と案内板が設置されています
  • 二の丸・三の丸跡 — 本丸の周囲に配された曲輪(くるわ)の跡
  • 空堀 — 敵の侵入を防ぐために掘られた堀の跡が明瞭に残っています
  • 土塁 — 城を囲む土の壁の跡。戦国の防御構造を実感できます
  • 切岸(きりぎし) — 斜面を人工的に削った急崖。山城特有の防御施設です

山頂の本丸跡からは、能登の豊かな田園風景と日本海を見渡すことができ、なぜこの場所が軍事上の要衝とされたのかを実感できます。

末森城まつり

毎年9月には、合戦の激戦を記念した「末森城まつり」が地元で開催されます。武者行列や太鼓演奏、地元の特産品販売などが行われ、戦国の歴史を身近に感じることができるイベントです。

訪問のご案内

所在地石川県羽咋郡宝達志水町竹生野(たけおの)
指定石川県指定史跡
登山時間麓の駐車場から本丸跡まで徒歩約30分
入場料無料
アクセスJR七尾線 宝達駅から車約10分
のと里山海道 米出ICから車約15分
駐車場あり(無料・数台分)
注意事項山道を歩くため、歩きやすい靴を推奨。
案内標識に従って登山してください

周辺の見どころ

宝達山と水田の風景
宝達志水町の田園風景と宝達山(Photo: Saigawasakurabashi / CC BY-SA 3.0)
  • 宝達山 — 能登半島の最高峰(637m)。山頂からは日本海と立山連峰の大パノラマが広がります
  • 千里浜なぎさドライブウェイ — 車で約20分。日本で唯一、砂浜を車で走れる全長約8kmの海岸
  • 気多大社 — 車で約15分。能登国一宮として知られる由緒ある神社
  • 妙成寺 — 車で約20分。加賀藩前田家ゆかりの日蓮宗の名刹。五重塔は国の重要文化財

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写真クレジット:
末森城跡 — Akimoto(Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0)
宝達山・田園風景 — Saigawasakurabashi(Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0)

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