金沢の旧町名復活 — 主計町・六枚町・柿木畠…城下町の歴史を刻む町名の物語

金沢の街を歩くと、「主計町」「六枚町」「柿木畠」など、どこか懐かしく趣のある町名の表示板に出会います。実はこれらの町名は、一度失われてから住民の手で復活したもの。金沢市は1999年から全国に先駆けて旧町名復活に取り組み、2021年までに25を超える旧町名がよみがえりました。加賀百万石の城下町に刻まれた地名の物語と、それを守り継ぐ人々の想いをご紹介します。
目次
金沢の旧町名復活とは — なぜ町名は消えたのか
金沢には藩政時代から続く由緒ある町名が数多く残っていました。しかし、1962年(昭和37年)に施行された住居表示に関する法律により、全国で町名の統廃合が進みます。金沢市でも「尾張町」「片町」「橋場町」といった大きな町名に統合され、何百年も使われてきた町名が次々と地図から消えていきました。
しかし金沢では、地元住民が「町名は単なる住所ではなく、歴史と文化そのもの」と声を上げ、1999年に全国初の旧町名復活を実現しました。金沢市は2000年に「金沢市における旧町名の復活の推進に関する条例」を制定し、住民の申請に基づいて旧町名を復活させる独自の制度を全国で初めて整えたのです。
金沢の旧町名復活の全記録 — 復活した町名一覧
1999年の主計町から2021年の金石地区まで、金沢市では4つの時期に分けて旧町名が復活してきました。
第1期:中心市街地の復活(1999年〜2009年)
主計町(かずえまち)— 1999年10月復活
旧・尾張町2丁目の一部。全国初の旧町名復活として注目を集めました。大坂の陣で功を立てた加賀藩士・富田主計(とだかずえ)の邸地があったことに由来します。浅野川沿いに茶屋建築が並ぶ主計町茶屋街は、金沢三茶屋街のひとつとして観光客にも人気のスポットです。
下石引町(しもいしびきまち)・飛梅町(とびうめちょう)— 2000年4月復活
下石引町は旧・石引3丁目の一部。金沢城の石垣を築くため、戸室山から切り出した戸室石を引いて運んだ道筋であることに由来します。飛梅町も同じく石引3丁目の一部で、藩の老臣・前田対馬守家の下屋敷があった場所。家紋にちなみ、菅原道真の飛梅伝説から名付けられました。
木倉町(きぐらまち)— 2003年8月復活
旧・片町2丁目の一部。藩政の初めころ、藩の材木蔵(木倉)があったことに由来します。現在は片町繁華街に隣接する飲食店街として賑わいを見せています。約1.17ヘクタール、約160世帯。
柿木畠(かきのきばたけ)— 2003年10月復活
旧・広坂1丁目の一部。寛永8年・12年の大火の教訓から、火除地として藩士の邸宅を移転し空き地にして柿の木を植えたことに由来します。「柿本人麻呂」をもじり「柿の木のもとでは火が止まる」との縁起が込められています。金沢21世紀美術館のすぐ近くに位置し、おしゃれな飲食店が集まるエリアです。
六枚町(ろくまいまち)— 2004年6月復活
旧・芳斉2丁目の一部。宅地税である地子銀が年間6枚であったことに由来します。北国街道から宮越往還に至る道の中間に位置する藩政初期からの町人町で、約0.5ヘクタール、約60世帯の小さな町です。
並木町(なみきまち)— 2005年10月復活
旧・橋場町の一部。藩政期に浅野川沿いに松並木が植えられて護岸としたことに由来します。ひがし茶屋街からほど近く、浅野川の風情を楽しめるエリアです。約2.5ヘクタール、約140世帯。
袋町(ふくろまち)— 2007年3月復活
旧・武蔵町の一部。北国街道の町筋の両端が曲がり、まるで袋のようであったことに由来します。藩政期には米取引の商人が多く住み、近江町市場にも近い商業地区です。
南町(みなみちょう)— 2008年11月復活
旧・高岡町の一部。佐久間盛政が城主のころ、城(金沢御堂)の南に位置していたことに由来します。現在は金融機関やオフィスが立ち並ぶビジネス街で、オフィス街での旧町名復活は全国初の事例となりました。
下新町(しもしんちょう)・上堤町(かみつつみちょう)— 2009年11月復活
ともに旧・尾張町1丁目の一部。下新町は町地が狭くなったため新しく町立てされたことに由来。上堤町は金沢城西内惣構の堀上げた土を盛った堤の上に町地ができたことに由来します。

第2期:観音町の復活(2019年)
観音町1〜3丁目(かんのんまち)— 2019年5月復活
旧・東山1丁目の一部。元和2年(1616年)、三代藩主前田利常夫人・珠姫の発願により卯辰山から移された観音院に由来します。ひがし茶屋街の入口に位置し、第1期から10年ぶりの都心部での復活として話題となりました。
第3期:金石地区の旧町名復活(2018年〜2021年)
金沢市の西部に位置する金石(かないわ)地区は、かつて「宮腰」と呼ばれた北前船の港町。藩政時代から日本海交易の拠点として栄え、地元では旧町名が今も生活に根付いていました。2018年から2021年にかけて、13の旧町名が一気に復活しています。
金石地区で復活した13の旧町名
- 金石通町(2018年):大店が並び人の往来が多かった通りに由来
- 金石下本町(2018年):本町の下手に連なる商店街に由来
- 金石味噌屋町(2018年):味噌を商う有力な商人がいたことに由来
- 金石新町(2019年):新しく町立てされた町。元禄時代の宮腰絵図に記載
- 金石今町(2019年):「海から上がった佐那武の神が通られた」との伝承
- 金石海禅寺町(2019年):海禅寺という寺院があったことに由来
- 金石下寺町(2020年):大寺の周辺が「寺町」と呼ばれたことに由来
- 金石上浜町(2020年):浜町の上方に連なる町筋に由来
- 金石浜町(2020年):御塩蔵の浜方に連なる町筋に由来
- 金石松前町(2020年):北前船で松前(北海道)と交流する人々が居住
- 金石御船町(2020年):藩の御座船小屋があり御船足軽が住んだ
- 金石上越前町(2021年):越前方面と取引する人が多く住んだ
- 金石相生町(2021年):慶応2年の合併時、ともに栄えるよう願い命名
金石地区の町名には、松前町(北海道)や越前町(福井)など、北前船の交易先がそのまま残されています。町名そのものが、かつての港町の繁栄と日本海交易の歴史を物語っているのです。
金沢の旧町名復活の仕組み — 住民主導の町名復活条例
金沢市の旧町名復活は、2000年に制定された「金沢市における旧町名の復活の推進に関する条例」に基づいて行われます。復活の条件は以下の通りです。
旧町名復活の条件
- 住民の合意:対象区域の住民の概ね3分の2以上の同意が必要
- 歴史的根拠:住居表示実施前に存在した町名であること
- 区域の合理性:旧町の区域に基づき、日常生活に支障がない範囲であること
- 住民からの申請:行政主導ではなく、地元住民の自主的な申請に基づく
復活が決まると、住民票の住所変更や登記簿の変更などの手続きが行われますが、金沢市が費用を負担するため、住民の金銭的負担はほとんどありません。この住民主導の仕組みが、金沢の旧町名復活運動が全国から注目される理由のひとつです。
金沢の旧町名に秘められた物語 — 町名から読み解く城下町の歴史
金沢の旧町名には、加賀百万石の城下町ならではの歴史が凝縮されています。町名の由来を知ると、金沢の街歩きがぐっと楽しくなります。
武士の暮らしを伝える町名
主計町(藩士の邸地)、下石引町(城の石垣造り)、飛梅町(藩の老臣の屋敷)、上堤町(城の防衛施設)など、加賀藩の武家社会を反映した町名が多く残ります。
商人と職人の息づかいを伝える町名
六枚町(地子銀6枚の町人町)、木倉町(材木蔵)、袋町(米商人の街)、金石味噌屋町(味噌商人)など、かつてそこで営まれていた商いや暮らしを今に伝えています。
信仰と文化を伝える町名
観音町(観音院)、金石海禅寺町(海禅寺)、金石下寺町(寺院群)など、寺社と密接に結びついた町名は、藩政時代の人々の信仰心を映しています。
海の交易を伝える町名
金石松前町(北海道との交易)、金石上越前町(越前との交易)、金石御船町(藩の御座船)、金石浜町(御塩蔵のそば)など、北前船の時代の港町の活気が町名に刻まれています。
金沢の旧町名復活の街歩きガイド
復活した旧町名を巡る街歩きは、金沢観光の新しい楽しみ方です。町名の由来を知りながら歩くと、歴史の重層性が感じられます。
旧町名めぐりモデルコース(約3時間)
金沢駅 バスで移動
南町 オフィス街に残る城下町の記憶
袋町 近江町市場すぐそば、米商人の街
上堤町・下新町 尾張町エリアの旧町名散策
主計町 浅野川沿いの茶屋街を散策
並木町 松並木の面影を探して
観音町 ひがし茶屋街の入口
柿木畠 21世紀美術館近くでランチ
木倉町 片町エリアの飲食店街へ
金沢の旧町名復活の意義 — 全国に広がる町名復活運動
金沢市の旧町名復活は、全国の自治体に影響を与えた先駆的な取り組みです。住居表示法の施行以来、全国で消えていった歴史的町名を取り戻す動きは、金沢の成功をきっかけに広がりました。
旧町名復活の意義は、単に昔の住所に戻すことではありません。町名という無形の文化遺産を守ることで、地域のアイデンティティを再確認し、コミュニティの結束を強めることにあります。金沢では復活した町ごとに町名復活記念碑が建てられ、町の由来を記した案内板も設置されています。
金沢市はさらに、まだ復活していない旧町名についても調査・記録を進めており、住民からの申請があれば今後も復活を支援する姿勢を続けています。城下町の歴史を町名に刻み、次世代へ継承していく——それが金沢の旧町名復活運動の本質です。
金沢の旧町名復活エリアの周辺観光スポット
周辺の見どころ
地元ライターからのメッセージ
金沢の街を歩くとき、ぜひ電柱や建物に掲げられた町名表示板に目を向けてみてください。「主計町」「柿木畠」「六枚町」——ひとつひとつの町名に、何百年もの物語が詰まっています。
旧町名の復活は、住民が「自分たちの町の名前を取り戻したい」という想いから始まった草の根の運動です。観光ガイドブックには載っていない、金沢の奥深い魅力がここにあります。次の金沢旅行では、復活した旧町名を手がかりに、城下町の歴史を感じる街歩きを楽しんでみてはいかがでしょうか。
【取材・執筆】わっか北陸編集部
【最終更新】2026年2月
写真クレジット:
主計町茶屋街の町並み — 663highland(Wikimedia Commons / CC BY 2.5)
主計町の浅野川沿いの風景 — 663highland(Wikimedia Commons / CC BY 2.5)








